身の丈と体重
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一昨年亡くなられた早坂暁氏の代表作として真っ先に挙げられるのは「夢千代日記」だと思いますが、個人的には「ダウンタウン・ヒーローズ」という、旧制松山高校を舞台にした小説をおすすめしたいと思います。
この小説は1988(昭和63)年に山田洋次監督によって映画化されているので、そちらでご存知の方もいらっしゃるでしょう。
かくいう私も映画の方が先でした。
戦後の学制改革によって翌年から旧制高校がなくなることが決まっている、いわば最後の「高校生」の群像劇ですが、映画の終盤、最後の授業で俳優すまけいさん演じる教師が、巣立っていく卒業生にかける激励の言葉を、次のように締めくくりました。
奮闘を祈ります。諸君の体重たらず。
正確ではありませんが、たしかこのような言葉だったと記憶しています。
戦後の食糧難の中、学生寮でも満足な食事にありつけず、みなの共通の思い出といえば「空腹」であったと振り返る中で、「欲しいものが手に入りつつあるときこそ警戒せよ」、「太っていく豚は幸せなのではない」としつつ、「身の丈」ならぬ、見劣りする「体重」などものともしない活躍を願う教師の言葉に、教室の卒業生は全員立ち上がって拍手で応えます。その目には涙も浮かんでいます。
なぜこの映画のことを思い出したかといえば、お察しのとおり、文部科学大臣の「身の丈」発言のせいです。
センター試験に代わって2021年度から開始される大学入学共通テストに、英語の民間試験が導入されることを受けて、何度も民間試験を受験できる経済的に恵まれた受験生や、受験会場の近い都市部の受験生にとって有利になってしまうのではないかとの懸念が指摘されていますが、文部科学大臣はBSのテレビ番組に出演した際に、この懸念について問われたのに対して、
裕福な家庭は(試験を)回数受けて、ウォーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、(そうでない家庭は)身の丈に合わせて勝負して頑張ってもらえば(いい)
という趣旨の発言しました。後に大臣はこの発言を撤回して謝罪しましたが、裕福でない家庭に育った受験生は不利だからって一々文句言うな、分をわきまえろ、と言わんばかりの発言には、教育行政を司る文部科学大臣としての自覚も品格も見出せません。
制度の改革時には、必ずどこかにしわ寄せが生じます。
都市部の裕福な家庭の受験生が結果的に有利な条件になる一方で、そうでない場合は相対的に不利になることが懸念されるなら、その対策を取ることこそ文部科学大臣の仕事です。
不平を言うな、恵まれた家庭をうらやむな、身の丈を知れ、と頭ごなしにねじ伏せる態度には、彼が誰のための教育行政を行おうとしているのかがにじみ出ていると言わざるを得ません。
もしかすると、「そうでない」人々の活躍を恐れてさえいるのかも知れません。
ところで、先ほどの映画のセリフからの連想で、「太った豚より痩せたソクラテスになれ」という言葉を思い出しますが、ソクラテスも影響を受けたデルポイにあるアポロンの神託所の入り口には、「汝自身を知れ」と「度を越すことなかれ」という言葉が刻まれているとか。
「身の丈」発言にも通じます。
まさか文部科学大臣の発言は、このことを知っていてのこと?
まさか、ねえ。
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