弁護士 加藤 文也

 昨年、政府が、国民からの反対意見が多かったにも関わらず、安倍元首相の国葬を閣議決定のみで決め、実施したことは、国民主権の日本国憲法下では問題があったと思われます。とりわけ、財政民主主義(憲法87条1項)に反する支出がなされたことと、今回の国葬の様子は、NHKなどメディアで国歌(君が代)が演奏される状況等が中継され、視聴者に事実上弔意を示させるようにさせており、思想、良心の自由等憲法上の権利の観点からも批判の余地が大きいと思われます。
 今から102年前、平民宰相と呼ばれた原敬は、首相在任中、東京駅構内で国鉄職員に襲われ亡くなりましたが、国葬は行われず、原が生前に選択していた「盛岡市民葬」が行われたのみでした。研究者の一人は、もし、原があと15年存命していたならば、軍部と宮中を統制できるように法律を改正した可能性があり、そうすれば、十五年戦争への道を未然に防いでいたのでないかと述べております。上記事件の背景には、原が率いた政党の政策が貧困層に冷たいとの不満があったと言われておりますが、原の死亡後、貧困層に対する十分な対策が取られませんでした。
 今回の銃撃事件の容疑者の動機は、自らの家庭を統一教会(世界平和統一家庭連合)に破壊されたこと、安倍氏が祖父の岸信介氏の代からその統一教会と結び付きが強かったことが遠因となっていることが、明らかになりました。この機会に、少なくとも、統一教会による深刻な被害救済と違法な活動を規制する法律を制定し、新たな被害者を出さないようにすることが必要と思われます。