弁護士 新井 章

 かつて「明治100年」とか「近代100年」と言われたことがあったが、すでに明治元年(1868年)から今年2022年までは154年になる。これを要するに、日本が欧米先進諸国の働きかけを受けて漸く積年の封建体制から脱皮し、近代国家の仲間入り(明治維新)を果してから150年余りが経ったということなのだが、私の観るところでは、わが国が近代化してから今日までの150年余りの歩みは、1945年(昭和20年)の第2次世界大戦終結(敗北)を境に、それまでとその後とで大きく異なった二つの時期に分かれていると思われる。

 すなわち、この境界までの前半期は、明治初期から大正を経て昭和前期までの77年程であるが、この時期は、国際社会での列強の仲間入りを急いだ日本がひたすら軍事力の強化に努め、それを背景に近隣アジア諸国への侵出・侵攻を繰り返し(日清戦争、日露戦争、ノモンハン事件、満州事変、支那事変、太平洋戦争等)、帝国主義的・軍国主義的な国策を振りかざして顧みなかった時期であったということができよう(「戦争に明け暮れた日本」 色でいえば「黒」の時代)。

 これに対して、この境界から今日までの後半期は、第2次世界大戦での手痛い敗北からスタートして、昭和後期→平成→令和と続く77年程の時期である。
 世界大戦での敗北によって「軍国日本」は徹底的に打ちのめされ(無条件降伏)、日本国家が再び国民を無視して軍国主義や国家主義に奔ることのないようにと、「戦争放棄」と「軍備全廃」とを新憲法上に明記して、誓約させられたわけである。
 このような嘗てない国政の大転換は、もとより偶然の所産ではなく、無謀にも第2次世界大戦にのめり込んでいった「軍国日本」の過ち、そこから生み出された国内300万人、アジア地域で2000万人を超える人々の、痛ましくも尊い犠牲等(「戦争の惨禍」)、それらすべての事蹟をふまえた痛切な反省の賜ものである。

 だからして、私達はそれからの77年間、幸せにも一度として戦争を始めることがなく、また、他国の戦争に巻き込まれることもなくして、「平和な日本」を享受し、満喫して過ごすことができてきたわけであって(「平和であり続けた日本」色でいえば「白」の時代)、このような“奇跡”ともいえる程の「平和日本」の状態を、今後に向けて末永く大切に保持し続けなければならない。
 また、だからして私達は、この状態をおびやかす一切の企み(日米軍事同盟の強化、集団的自衛権の行使、敵基地攻撃論等)を許さず、全力を挙げて闘わねばならないのである。