弁護士 新井 章

 私は今年で88歳になるが、今から約60年前、25才で弁護士になったときは、社会的に弱い人たちの味方になれればといった程度の、きわめて曖昧・漠然とした思い(抱負)しか抱いておらず、労働法律事務所に入所(就職)したのも、そのようなささやかな“決意”からであったことを思い返している。

 だからして、その先どのような職業的経験を積み重ね、将来どのような法律家として“大成”していくかのヴィジョンも持たぬまま、漫然と仕事を始めたから、1年も経たぬうちに労働弁護活動の現場からは外されて、「日本社会党法規対策委員会法律相談部」という奇妙な看板の法律相談所に回され、仕事を続ける仕儀となった。

 事柄の性質上、そこでは行き場のない社会的問題(困難)を抱えて困り果てた人達が、日本社会党の看板を頼りに相談事件を持ち込んでくるというところ(職場)だったわけで、米軍基地拡張で田畑を接収されるのに抵抗する砂川基地拡張反対同盟の農民達も(砂川事件)、国立療養所で月600円の日用品費では補食費も賄えないと訴える生活保護患者(日本患者同盟)の人達も(朝日訴訟)、このル―トを頼って、私たち若輩弁護士らと結び合わされることとなったのである。

 私ごときが後年憲法訴訟・人権裁判の弁護士といわれるようになったきっかけは、実はこのような偶然のめぐりあわせからであったということができる。