教育基本法(以下「教基法」といいます)は、教育の根本理念を宣言して、国や行政機関がやってはいけないことを定めています。

 憲法制定の際には、憲法に盛り込もうという議論もありました。戦前の「教育勅語」などによる苦い経験を繰り返さないための教育条項が必要だと考えられたのです。しかし、憲法で取り上げると、教育が政治の面から議論されることになるので好ましくないと、教基法に譲ったのです。

 教基法が、前文で憲法の理念を述べ、「その理念の実現は教育の力にまつ」とし、教育の目的は、憲法の個人の尊厳の観点からの「人格の完成」を目指す(教基法1条)としているのは、憲法の理念とのつながりを示します。そして、教育の指針として「自発的精神」「自他の敬愛」(同2条)を掲げ、教育は「不当な支配に服することなく」「国民全体に対し直接責任を負って」行われることを定めて(同10条)、教育の自主性・自律性を尊重・確保しつつ、国などの教育内容への不当な介入を制限しています。

 その教基法が「改正」されようとしています。「改正」案では、「教育勅語」よりも多い徳目を教育目標とし、これを達成するよう、学校では「組織的・体系的」に教育を行い、大学・私学・家庭教育や地域住民との連携、社会教育においても、それを目標にするというのです。また、法律を定めてそれに依拠する限りは「不当な支配」に当たらないとし、政府は、教育内容も含めて教育振興計画を定めて、政策誘導や予算配分が出来るようにするというのです。

 憲法の理念に基づいて、教育の自主性・自律性を尊重しようとしてきた教基法の理念は、根本から変更されることになります。

 「改正」法案の審議は、いじめ自殺問題、未履修問題、タウンミーティングでの「買収」やらせ発言問題が起こるなか、「改正」法案によってどの様な教育が行われることになるのかの具体的な構想が解明されないまま、新内閣の最優先課題という政治的理由から、与党単独強行採決で進んでいます。

 憲法制定時に、教育を政治的な問題にしてはいけないとしたのとは雲泥の差です。教育の在り方を大きく変更し、憲法「改正」の下地造りになっていく可能性のある問題ですから、この行方を見過ごすわけには行きません。