弁護士 加納 力

「中世」という言葉にどのような印象をお持ちですか。ヨーロッパの古い町並みに象徴されるロマンティックな雰囲気を思い浮かべる方も多いかも知れません。しかし、社会的に見れば封建制から絶対王政に至る時代で、個人の権利などまだ「発見」されていない時代でした。「中世」はとても否定的な意味も帯びています。

昨年、日産自動車の前会長カルロス・ゴーン氏が逮捕され、長期拘留の後、保釈後に再逮捕、勾留、再保釈となった顛末は、「人質司法」の最たる例として広く世界に知れ渡る結果となり、我が国の刑事司法が中世並みという国際的評価はますます確固たるものになってしまいました。

日産事件もそうですが、司法当局によって嫌疑をかけられた被疑者が、容疑を否認することは珍しくありません。捜査は密行を旨とするものですから、身に覚えのない、何も後ろめたいことのない人であっても、ある日突然警察官に囲まれ、外部との連絡も遮断され、連日長時間に及ぶ取調べという名の詰問と、出口の見えない身柄拘束が、被疑者とされた個人を精神的に追い詰めます。憲法で選任権を保障された弁護人でさえ取調べには立ち会えず、せいぜい取調べの合間にアクリル板越しの面会が認められるだけ。唯一の救いと思えるのは、「嘘でもいいから罪を認めれば早く自由になれる」という甘いささやきです。

人質司法に「嘘でもいいから」という要素が紛れ込む余地があるなら、真実を発見するはずの捜査は歪められ、真犯人を取り逃がすリスクさえ生じます。守られるのは、見せかけの治安と司法当局の権威だけなのです。