弁護士 加藤 文也

 昨年10月1日、政権党が憲法改正の動きを進める中、菅首相は、日本学術会議が推薦した会員候補者105名のうち6名の任命を拒否し、本年4月に、日本学術会議総会で、「日本学術会議任命問題の解決を求める」文書が採択されてからも拒否を続け、その理由も明らかにしない状況を続けております。

 この問題は、学者・研究者だけの問題ではなく、民主主義の根幹に関わる問題を含んでおり、私達自身の問題として捉える必要があると思われます。

 菅首相の対応は、学問の自由の侵害となると思われますが、学問、研究に対する弾圧の行き着く先は、国民、市民の思想統制、人間性の剥奪となることは、戦前の歴史が示しております。

 戦前の学問研究に対する弾圧は凄まじいものがあり、1933年の京大瀧川事件に続き、1935年には、貴族院議員であった美濃部達吉(東京帝大名誉教授)が、天皇機関説に関して述べた「憲法撮要」等3冊が発売禁止処分を受け、美濃部自身、貴族院議員を辞職し、公職から退かざるを得なくなりました。政府は、国体明徴声明を発して、天皇機関説を国体に反するものと断定し、天皇機関説の講義も禁止しました。1939年には、津田左右吉早稲田大学教授の記紀に関する本を発売禁止処分に付し、時の政権にとって都合の悪いと考えた学問研究をほとんどすべて封殺しました。1938年には、国家のすべての人的、物的資源を政府が統制できる国家総動員法が制定され、戦争につき進むことになったのです。

 敗戦から76年目の夏、現行憲法が、戦前、真理を探求する学問研究が封殺され、教育の国家統制により、時の政権を批判するような言論も禁じられ、無謀な戦争につき進むことになったことに対する深刻な反省に基づいて制定されたことに思いを馳せ、現行憲法の意義を心に刻みたいものです。