弁護士 加納 力

 中国・武漢で「原因不明の新型肺炎」のニュースが日本で報じられたのが昨年1月。ほどなく国内でも感染者が判明し、2月には多くの感染者が出たクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入港、学校の臨時休校が始まり、3月にはオリンピック・パラリンピックの延期も決まりました。4~5月の緊急事態宣言、一気に品薄になったマスク、アルコール除菌用品、トイレットペーパーなど、社会は新型コロナウイルスによって完全にペースを乱されました。

 見えない敵に対する不安は、経済活動の萎縮を招いただけではありませんでした。心のゆとり、他者に対する寛容さ、不測の事態に対する冷静さ、苦境に対する辛抱強さなど、人間社会に組み込まれていた免震構造が、少しずつ蝕まれているように思えます。

 経済対策として始まったGo To キャンペーンも、当初は感染拡大収束やワクチン開発などを見込んだアフター・コロナの政策でしたが、今や「感染なんか怖がっていられるか」と言わんばかりの捨て鉢な印象を拭えません。この政策の恩恵は一部の事業者や利用者に偏ってもたらされる一方で、リスクは社会全体、特にそれを回避できない社会的弱者に厚く降りかかります。

 それでもいい、こんな世の中では「賢く」振る舞える者が生き残るのだ、適者生存、自己責任だという声も聞こえてきそうですが、新型コロナウイルス感染症から生還したジョンソン英首相が発した「社会というものが確かに存在する(there really is such a thing as society)」という言葉が、その答えになるでしょう。