弁護士 斉藤 豊

徴用工判決に端を発した日韓関係の悪化は改善の兆しを見せません。かつて中国人の戦争賠償問題に取り組んだ者として、報道に接するたびに感じるのは、両国の近現代の歴史と国家と個人の請求権の問題がなぜ語られないのかという歯がゆさです。

江華島事件で日本が朝鮮に開国を迫ったのは明治維新のわずか8年後。明治の栄光として語られる日清・日露戦争は半島の覇権をめぐる争いでした。閔妃暗殺という恥ずべき事件を経て覇権争いに勝ったわが国は、日韓併合後本格的な半島植民地化を進めます。8月15日が「光復節」として祝われるのは35年間の植民地支配の実態を如実に物語るものです。しかも戦後70年以上も続く民族分断は、戦前のわが国の半島支配に責任の一端があることは否定できません。慰安婦や徴用工といわれる人達の要求の背景には、このような隣国との歴史があることを忘れてはなりません。

法的問題と政治は別です。戦後賠償をめぐる問題についてわが国政府は戦後長らく個人の請求権と国同士の約束は別だという態度をとり、国民からの戦争賠償請求を拒んできました。最高裁の判例も、平和条約で放棄された個人の請求権の存在自体は否定できませんでした。日韓請求権協定で放棄された個人賠償請求権について、国家間の取り決めで個人の権利を消滅させることが可能かという議論は当時から存在していました。問題の請求権協定は、日本の植民地支配が違法であるという前提に立っていない不平等条約であるとの指摘も根強くあります。いずれにしても法的には、韓国最高裁の今回の判断が特異で違法なものだとは言えないのです。

相手の国を国際法違反と一方的に決めつけ、その国の司法判断に敬意を払わず、自分には100%落ち度はないという態度に固執している限り、両国の発展的な関係は生まれません。お互いの立場を理解した冷静な議論が交わされることを願ってやみません。