郷里の先輩にあたる啄木が自分の青春時代を歌った詩に次のようなものがある。

かぎりなき智識の欲に燃ゆる眼を
姉は傷みき
人恋ふるかと

盛岡の中学校の
露台(バルコン)の
欄干(てすり)に最一度
我を倚らしめ

 この旧制盛岡中学の流れを汲む高校を卒業して今年で40周年になる。私は、自分の高校時代を、この前亡くなられた井上ひさしさんが「青葉茂れる」で描いたものと近いものであったとの感慨とともに、懐かしく思い出す。この高校の卒業40周年の同窓会がこの8月の旧盆の時期に、盛岡で行われることとなった。

 40年という歳月は、この間に起こった様々なの人との出会いと別れに思いを巡らせる。この間に、私の両親、高校時代のテニス部のパートナーであった友人、恩師らを送っている。亡くなった親しい人への清冽な葬送の曲として読むことができる「銀河鉄道の夜」を書いたこれまた郷里の先輩でもある賢治の心境になって、夏の夜の一夜を、友と語り明かして来たいと思う。

 最後に、啄木の詩、もう2つ。

かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど

ふるさとの山に向ひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな