マスメディア等を通じてご存じのとおり、本年5月より、裁判員制度が実施され、東京地裁をはじめ全国の地方裁判所ではこの8月には初めての裁判員裁判が行われることになりました。

 わが国においては、戦前、戦中の一時期、陪審制度が実施されていたことがありますが、この時期の有罪率は83%であり、現在の98・8%に比べるとずっと低い状況でした。今回、実施されることになった裁判員制度は、現行憲法下において初めて市民が刑事裁判に参加する新しい制度といえます。

 弁護士会が、刑事司法手続きに市民の参加を求めたのは、それが冤罪の防止に繋がっていくと考えたからでした。実際、最近の新聞報道等で明らかなとおり、1990年に女児が殺害された足利事件において2000年に最高裁で無期懲役刑が確定した菅家さんが、裁判のやり直しを求め再審を請求していたところ、裁判所は、この6月、再審開始決定をしました。この件は、DNA鑑定で「不一致」との結論がでた後の本年6月になって検察側が菅家さんを釈放し、また、県警本部長が直接、菅家さんに謝罪する事態となりました。このことは平成になってからも冤罪が存したことが明らかになるとともに、誤った裁判が、どれほど被告人とされた人の人生を狂わすことになるかを示しており、刑事裁判の重要性について認識を新たにさせます。

 刑事司法の民主化は、その国の民主主義の深化の歴史でもあるといえます。戦前の自白偏重の証拠法則を改め、証拠法則の厳格化を現行憲法で規定するようになったのもその現れと考えられます。が、現行憲法の下で、実際の刑事司法の運用において、前述したような事例がなお存することは、これまでの刑事司法の運用で改善すべき点が多いことを示しています。とりわけ、密室の中で行われる捜査が冤罪の温床となったと考えられることから、弁護士会は、捜査の可視化を求めてきました。が、裁判員制度は、そのことが実現することなく発足しています。

 裁判員として参加する市民が、良識をもって職業裁判官と立ち向かい、「無罪推定の原則」を堅持して評議をリードし、密室の中で作成された捜査資料については厳しく見る視点を持ち、他の裁判員の小さな疑問にも謙虚に耳を傾ける姿勢で、協力し合っていくことが大切であると思われます。