弁護士 松川邦之

 
1 はじめに

 教育にかかわる問題は、現行憲法が制定されて以来、戦後一貫して大きな論争点となってきました。私どもの事務所のメンバーが中心となって取り組んだ家永教科書裁判の東京地裁判決(1970年)は、教育がなによりも子どもの学習権を保障するためになされるべきことを明らかにするとともに、価値の多様性を認め、それを護ることが民主主義国家の役割であるとする憲法解釈を初めて示し、その後の憲法解釈に大きな影響を与えることになりました。1994年にわが国も批准した子どもの権利条約は、上記判決で示された思想の発展ともいえる側面をもっていますが、教育が子どもの学習権を充足するために行われるべきことは、国際準則になっております。
 戦後の歴史を見てみますと、教育の内容および教職員に対する国、行政の管理統制が強まるときは、憲法を改正しようとする動きと連動しています。

2 東京における教育統制に抗する訴訟(日の丸・君が代関連)への関与

(1) 東京都は、石原都政の時の2003年10月23日付けで、すべての都立学校で、国旗(日の丸)、国歌(君が代)を実際上強制する通達(以下、「10・23通達」といいます。)を発し、学校現場での管理、統制を強引に押し進めるようになりました。以後、毎年、卒業式等で同通達に基づく校長の職務命令に従えない教職員は懲戒処分に付されるようになり、本年(2013年)までで懲戒処分に付された教職員はのべ数百名に及ぶという異常事態が続いています。
 10・23通達は、東京都のそれまでの教育を大きく変えるとともに、全国的に見ても突出した内容を持つもので、教育基本法「改正」の先取りとして実施されたものでした。

(2) 教育統制に抗する訴訟の提起
 このような事態に危機意識を抱いた教職員が原告となり、懲戒処分に付される前に、「国歌斉唱義務がないこと」の確認と処分の差し止め等を求めて2004年1月30日に東京地裁に提訴したのが、国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(予防訴訟)で、以後、10・23通達に基づく管理・統制に抗するいくつもの訴訟が提起されました(これらの訴訟を「教育の自由裁判」といいます。)。
 教育の自由裁判は、これまでに地裁から最高裁まで18に及ぶ判決が言い渡されました。
 予防訴訟第一審判決(2006年9月21日)は、本件について思想・良心の自由という憲法上の権利の問題であり、少数者の権利の問題でもあると捉え、国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をすることについて義務を課すことは、旧教育基本法10条で禁止するところの「不当な支配」に当たり違法であり、また、そのことは、必要かつ最小限度の制約を超えるもので、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反するとしました。この判断は、下級審段階ですが、学校現場での国旗、国歌の強制が憲法に違反するとした初めての判断であり、画期的意義を持つものでした。
 2011年3月8日、第一次君が代訴訟(懲戒処分取消等請求訴訟)で、東京高裁は、第一審判決を取り消し、戒告処分に付したのは処分権限の濫用に当たるとして、処分を受けた教職員全員の処分を取り消す旨の判決を言い渡しました。
 2011年5月末から同7月末にかけて、最高裁各小法廷で判決が言い渡されました。最高裁の多数意見は、校長の職務命令は、思想・良心の自由の間接的制約になるとしましたが、その間接的制約を正当化する「必要性・合理性」があるとし、違憲・違法とはならないとしました。しかし、2012年1月の最高裁判決は、上記最高裁判決を前提としましたが、都教委が教職員に対して行っている累積加重システム(1回目が戒告、2回目、3回目が減給、4回目以降停職と回を重ねるごとに停職期間が長くなる。)について減給以上の処分に付すことが違法であるとの判断を示し、都教委の暴走に一定の歯止めをかける判断を示しました。
 また、この間の最高裁判決には、多数意見に対立して憲法19条に違反するとの有力な少数意見が存し、また、都教委の行っていることの問題点を指摘する多くの補足意見が付されました。

(3) 教育統制に抗する闘いの課題
 上記裁判所の判断で、処分の内容には一定の歯止めがかかりましたが、卒業式等で教職員に対する職務命令は発出されており、国旗、国歌の強制を通じて、学校現場の管理統制が続いております。東京都以外でも、類似の統制の動きが伝えられています。子どもの学習権が保障され、教師と教育の自由が保障されることにより、人間の尊厳が尊重される豊かな学校を創っていくことにつながります。学校現場に自由を取り戻す闘いは、今後も続けていかざるをえないと考えております。

3 東京における教育統制に抗する訴訟(七生養護学校関連)への関与

(1) 上記10・23通達を発する少し前の2003年7月、七生養護学校で行われていた性教育に対し、3名の都議会議員・東京都教育委員会・新聞社が一連となって露骨な政治介入をし、教員を処分する事件が起きました。東京都立七生養護学校の教育「こころとからだの学習」への不当介入事件です。

(2) 七生養護学校では、親に事実上見捨てられた子等含め、様々な背景の知的障がい児が小学部から高等部の子まで通っています(そのため、七生福祉園という子どもの生活の場所が隣設しています。)。かつて七生の子達には、その知的障がいも一因となって性や身体、心にまつわる様々な問題が起こっていました。例えば、よく意味も理解しないまま子ども達間で性交渉・性的行為をしてしまったり、身体の第二次性徴に理解が追いつかず、精通に驚いて自身の男性器をハサミで切ろうとした子もいました。また、障がいがあることも関連しての被虐待歴や親に見捨てられた体験等から、その心に深い闇を抱え、自傷に走る子、他害・暴力や迷惑行為を繰り返したり、心の闇から性的問題を引き起こす子達もいました。
 七生の教員達は、この現状を見て、子ども達のために必死で試行錯誤しました。知的障がいゆえに平面の説明図を頭の中で立体に置き換えてイメージできず、言語的説明では伝わりにくく、また、心の問題から生じる問題については、問題行為を叱ったり禁止したりするだけでは何も解決しませんでした。
 様々な問題がある中で、教員達は協力して、外国の教育教材から自作のものまで立体の教材から映像等様々な教材を用意し、授業の仕方も創意工夫を繰り返しました。心の闇については、子ども達があまりに酷い体験をしてきたことに起因すると思われ、子ども一人ひとりが大切な存在であることを可能な限り温かい人間関係の中で伝え、子ども達の自己を肯定する力を育むべく、筆舌に尽くせない努力を積み重ねてきました。そうして培われたのが、「こころとからだの学習」でした。

(3) 2003年頃から、当時の都議3名が、都議会質問などで、七生や他の学校において立体的な排泄器・性器等の模型や性器の名称を用いていることを問題視し、「性教育は極端なジェンダーフリー思想に基づくものであり、それは資本主義の破壊を目指す共産主義の革命思想である」というような偏った政治思想の下、強い影響力で都教育委員会に指示し、強引な手段で教育現場を変えようとしました。
 彼らは、七生で行われていた教育を不適切であり「学習指導要領違反・発達段階違反」と決めつけ、授業の意図もきかず、格別専門家による専門的・教育的検討も行わないまま、突然押しかけて罵倒し、大量の教材を没収し、問題視した授業を禁圧し、学校に役人を送り込んで監視をしました。そして、教員たちにメモすることも質問することも弁明の機会も与えない事情聴取を行い、性教育に関わった多くの教員を厳重注意処分に処し、年間指導計画を無理矢理変更させ、ほとんどの教員を短期間に大量異動させてバラバラにしたのです。このようにして、七生で培われた教育は根絶やしにされ、またこれを見せしめとすることで都内の教育現場を萎縮させ、また「こころと体の学習」の教育で子どもたちが成長する機会は奪われたのです。

(4) 七生の教員や保護者が、都議・都教委・新聞社などを相手に起こした民事裁判で、東京地裁は、都議らの暴言や都教育委員会による厳重注意処分を処分理由がなかったとして違法とし、都議・都教委の賠償責任を認め、更に東京高裁は、「こころとからだの学習」が学習指導要領に反しないことを明確に認定した上で、地裁と同じ都議・都教委の違法性・賠償責任を認めました。現在、原告・被告双方が上告して最高裁判所で審理が続いています(松川が原告弁護団の一員として関与しています。)。

4 教育の自主性・自律性の確保をめぐる分野での取り組み

(1) 2006年に教育基本法が改正されました。憲法の理念を映し、学問の自由や自発的精神の尊重を謳い、教育への不当な支配を禁じ、教師による国民全体に直接責任を負った自主的・自律的な教育を確保する規定などに向けた、およそ60年ぶりの「改正」でした。これに伴って、学校教育法や学習指導要領も改訂され、今日に至っています。いま第二次安倍内閣が「教育再生」を掲げていますが、2006年の「改正」
も第一次安倍政権が行ったのでした。

(2) この「改正」の動きは、小渕首相の下での「教育改革国民会議」報告が「新しい時代に相応しい教育基本法を」と提言した2000年頃から具体的な姿を表してきました。これを受けて中央教育審議会に諮問がなされ、2003年3月には、伝統文化の尊重や郷土や国を愛する心の涵養を新たに規定するなどとした教育基本法の「改正」を促す答申が出されました。

(3) 東京都でも、2000年に石原都知事の下で「心の東京革命行動プラン」が出されて以来、教育委員会の基本方針から憲法・教育基本法・子どもの権利条約などを尊重する表現が消え、①都立高校を多様化する一方で定時制高校を統廃合で減らしたり、学区制を廃止して学校間の競争を促す改革、②特色ある学校経営を効率的に行うための教員評価制度の導入、③東京都一斉学力テストを行って自治体間で序列をつける結果の公表や学校選択制による競争教育の促進が進められました。こうした中で2003年に、上述した国旗・国歌の取扱に関する10・23通達が出され、七生養護学校の性教育に関する教育内容介入が起ったのでした。
 21世紀の新しい時代に対応するとして構造改革が進められ、「骨太方針2002」などに始まり、2006年の義務教育費の国庫負担削減に向かう中での出来事でした。

(4) こうして2006年教育基本法が、多くの徳目を教育目標に掲げ、教師の教育における直接責任規定を削除した形で「改正」され、これに合わせて、学校教育法に、達成するように行われるべき義務教育の目標として「規範意識」や「国と郷土を愛する態度」を養うなどが新たに盛り込まれ、新たな教員の職をもうけて階層化するなどの「改正」がなされ、学習指導要領も改訂され、教育への統制・管理が強まっていきま
した。この教育「改革」の動きは、子どもが人格の完成を目指して教育を受ける権利や、教育の自主性・自律性を阻害するとして、日弁連などで注意喚起がなされ、これには村山弁護士も参加しました。

(5) しかし、この「改革」の動きは、数年前からの大阪府・市での競争教育を促進し、教職員の統制管理を強めようとする動きに見られるように、全国に広がる傾向を見せ、子どもたちのいじめ・不登校等の状況に改善が見られず、国連子どもの権利委員会から再三勧告を受けたり、教職員の疲弊も窺われる状況になりました。この傾向に歯止めをかけ、日本の教育の在り方を見直す必要があるということから、日本弁護士連合会が2012年の第55回人権擁護大会第一分科会で「どうなる、どうする日本の教育―子どもたちの尊厳と学習権を確保するための教育の在り方を問う」というシンポジウムと大会決議を行いました(基調報告書と決議は日弁連のウェブサイトでご覧になれます。シンポジウムの内容は本になっています。)。これには加藤弁護士と村山弁護士が取り組みました。
 進められようとしている第二次安倍教育「再生」でも、憲法・教育基本法の観点からの注目が必要な状況が続いています。