[特集 私と憲法]

 
 私は、敗色濃い1945年5月、当時僅か18才で学徒兵として一片の赤紙とともに召集され、黒河近くの重機関銃中隊に配属された。たった3ヶ月の軍隊生活の後、8月15日の敗戦とともに、他の数十万の兵士とともに、ソ連に抑留され、戦後賠償の代りといえる苛酷な労働に従事するうち、幸か不幸か病を得て2年後の47年8月末に舞鶴に帰還を果たした。久し振りに見る日本の風土は箱庭のように美しかったが、東京へ戻ると、池袋の東口駅前は一面の焼野原で粗末な屋台の食事に人が群がっていたのを思い出す。この戦後の混乱期に、私は今なお強烈な印象を残す出来事に遭遇している。
 その一つは、たまたまある日の早朝、築地の魚市場でラジオから流れていた極東軍事裁判の判決を聞いた時の衝撃である。「トウジョウヒデキ、デス、バイ、ハンギング、イタガキセイシロウ、デス、バイ、ハンギング」裁判長の次々読み上げる声は、朗々と場内にこだまして、その場に居合わせた人々を名状し難い気分にした。私は、自分の体験からも、われわれを駆り立てた軍部独裁による無謀なあの戦争が、終止符をうたれたことを痛く実感した。もう一つは相前後して制定された現行憲法である。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し…」等々あの格調高い前文と、万世一系の神聖不可侵の天皇制から国民主権にもとづく象徴天皇制、わけても9条の戦争の放棄はきわめて新鮮であり、恒久平和を強く念願する世界の多数の一般な市民にとっても、それは今日でも通用する永遠の真理の具現であった。戦後60年たって改憲論が特に政治上層部にかまびすしい。主要な根拠は自前でないということのようだが、それは内容が現在も正当性を持つなら改正の理由にはなるまい。むしろ今なお定着しなかった努力の欠如こそ問われるべきである。自衛隊の巨大化と9条と乖離こそあるが、自衛戦争肯定論では、戦争の惨禍は防げない。過去侵略戦争だとして戦争を始めた国は、皆無に等しいからである。イラク戦争はその好例である。

  乙女らの 非業に死せる 姫百合に
           黄色く咲きし 想思樹の花