[特集 私の夏休み]

 

 夏休み。この言葉の響きは、どこか過去の記憶とつながっているようです。

 突然長い距離を泳げるようになった小学生の頃の夏休み。舞い上がる砂埃にうんざりしながらも、部活動でグラウンドを走り回っていた中学生の頃の夏休み。学校祭の準備に明け暮れていたその日、日航機墜落事故のニュースに言葉を失った高校生の頃の夏休み。人影もまばらなキャンパスに響くツクツクボウシの声に急かされながら、サークル合宿の準備に慌てていた大学生の頃の夏休み。雄大な赤城山を望みながら、翌年には弁護士になっているはずの自分を思い、意気込みと不安が相半ばしていた司法修習生の頃の短い夏休み。

 夏の強い日差しが脳裏に焼き付けたかのように、記憶の中の夏休みは一瞬を切り取った静止画となって残り、夏休みの響きとともに甦ってきます。

 寺島尚彦の作詞作曲による「さとうきび畑」という歌をご存知ですか。風に揺れるさとうきびのさざめきを背景に、沖縄戦の鉄の雨にうたれて死んでいった父の姿、風にとぎれる母の子守歌、父の幻影を追う娘のかなしみが、真夏の深い緑のうねりの中に溶け込みます。そして歌詞もさることながら、「夏の陽ざしの中で」の一節に与えられた旋律が心を締め付けるのは、夏の強いコントラストに浮かぶ過去の記憶を呼び覚まし、今との境目を失わせるからなのかも知れません。

 今年の夏の日差しが私たちの記憶に残すものが、せめてのどかで平和な夏休みの光景でありますように、原発再稼働問題に揺れる夏を前に願わざるを得ません。