最近の新聞に「閉塞的な社会思いやりの心を育むには」という論説があった。最近とみに隣同士さえ助合いがなく、孤独死などがニュースになる世相からは当然のことと思われる。

 ところで「思いやり」といえば、思い出すのは、岩手の人々のそれである。かって私は、事務所の何人かと一緒に岩手県教職員組合の刑事事件を20年近く担当したことがある。これだけ永く、それも全県的に岩手の人々と付き合ったことになる。事件が盛岡地裁係属の時は、裁判所近くの同じ旅館に逗留した。それも2泊、三泊になることもあった。かかる時に、部屋に放置した履いた靴下を、次の日の夕方に旅館に戻ると、洗濯をしてキチンと畳んでおいてくれる。夏などの汗をかくときなどには、誠に有り難くかつホッとしたものである。冬にはこれだけのことで、我が家に帰ったような錯覚を覚え心が温かくなったものであった。

 また別な話だが、ある夏のこと、裁判が終わったので一人で「早池峰」登山を計画した。有名なハヤチネ薄雪草を見てみたいと思ったからである。朝早くタクシーを頼んで盛岡から登山口まで行ってもらった。タクシーの運ちゃんは、子供の頃から何回も登ったことがあるとのことで、車の中で山の話に花が咲いて楽しかった。

 さて、登山口にタクシーが着いた時には空模様が怪しくなっていたが、雨具の用意もあったので運転手と別れてそのまま山に入っていったが40分も経つと雨が降り出し、霧も出てとても「お花畑見物」は無理な状態となったので、諦めて下山する外なかった。登山口からバス通りに出て、雨の中リュックを揺すって歩いていると見知らぬ車が近くに止まったではないか。そして顔を出したのはさっきのタクシーの運ちゃんであった。話を聞くとタクシーは明け番で一旦家に帰ったが、気が付くと雨である、この雨に一人で山に入った私が気になって落ち着かない。そう言えば登山者名簿も書かずに山に入ったから、遭難でもしたら大変と、結局様子を見に登山口まで自家用車で来たとのことであった。「無事で何より」とのことで、今度は自家用車で花巻まで送ってくれた。花巻ではニコニコと手を振って帰って行った。勿論無料である。

 私は迂闊にも、この運転手のタクシー会社名も、運転手の名前も聞かないで別れてしまった。 従って、その後お礼の仕様もなく今日に至っている。しかしこの親切・思いやりは容易にマネの出来るものではない、私にとって一生忘れることが出来ない大切な思い出で宝物である。岩手は、私の第二の故郷の所以である。

 そして思い出す度に心に「春風」が吹くのである。