夏のニュースに続いて自由課題担当になったので、東京・江戸の「坂」に続いて東京・江戸の「橋」についてひとくさり述べます。
 昭和54年4月現在東京都には7682の橋が存在していたとものの本にありました。江戸時代に交通の手段として大小の川、掘割が縦横無尽に作られ、その後時代を経るにつれ、東京の河川の多くが埋め立てられましたが、いまだ多くの橋が残っているといえます。
 ご存じのとおり、時代小説の多くは、隅田川(大川)近辺や、深川等の江戸の下町を舞台としています。
 そしてこれらの時代小説の中には多くの「橋」が登場します。江戸時代の「橋」は交通の要所であり、にぎわいの場所であったようで、橋のたもとには、露天商や物売りが店を並べ、また高札場におふれが出されていたそうで、そのために、時代小説に多くの「橋」が登場
するようです。
 私の好きな藤沢周平さんの小説の中には、現在もその名前と面影を残す「橋」がたくさん登場します。そうなると現在の「橋」の姿から昔の姿を想像するという楽しみも生まれ、一度は現地に行こうなどという気持ちにもなります。
 藤沢周平さんの新潮文庫の「橋ものがたり」には「橋」を題材にした10の短編小説が集められていますが、その中の「約束」という小説には、幼なじみの男女が5年後に会う約束する場所として、深川の「万年橋」が登場していますが、この川は現在も小名木川が隅田川に合流する地点に存在しています。
 ちなみに新潮社のとんぼシリーズの「深川江戸散歩」に、藤沢周平さんが「私の深川絵図」という題で江戸時代の深川について書いていますが、こうした文書を読んでからまた小説を読むと、更にその面白みもわいてくるのです。