学校における「日の丸・君が代」の強制は、1999年の国旗・国歌法制定の前後から年ごとに厳しさを増してきました。特に東京都においては、2003年10月23日付け通達以来常軌を逸した強制が加えられております。それに対し、多くの教職員が「日の丸・君が代」強制に反対して立ち上がりました。この問題について、都立高校教員である伊東千恵さん、近藤徹さん、宮村博さん、ジャーナリストのドゥイツさん、予防訴訟弁護団の団長の尾山宏弁護士、堀尾輝久東大・中央大名誉教授とリレー座談会を行いました。

 

加藤  昨年の卒業式や入学式等で国歌斉唱時、不起立等で処分を受けた教職員は、247名にも及びましたが、伊東さんは、「日の丸・君が代」強制に対し、どのような対応をされたのですか。

伊東  通達が出された後、自分はどうすべきか、何をすればいいのか、何ができるのかといろいろ考え、悩みました。都立高校で世界史を教えて30余年、世界各地の革命や民衆の蜂起、様々な抵抗運動などについても語り、一時担当した現代社会では、沖縄に修学旅行に行く生徒たちに知花昌一さんの話をした者として、たった一片の通達がでたからといって、今までと違う行動をとったら、この先どんな顔をして教壇に立てるかと……。

加藤  伊東さんの学校で卒業式が行われる前、養護学校の卒業式では、どのように行われたと聞きましたか。

伊東  通達後の養護学校の卒業式では、様々な障害を持つ生徒がいるのに、有無を言わさず何が何でも壇上まで上がらせるようなやり方をとったとのことでした。私はそれを聞いて怒りを覚え、身体の具合が悪いから座っているのになぜいけないのかということも都教委に聞いてみたくなったのです。私は、先天性股関節脱臼の後遺症で日常的に杖が手放せません。長時間立ったり歩いたりしていると足が痛くなります。このような思いから、卒業式は最初から最後まで着席したままで通しました。
 入学式では、不起立・不斉唱を通し、懲戒戒告処分を受けました。

加藤  都教委は、処分を受け、その処分の効力を争っていたにもかかわらず、昨年夏には処分を受けた教職員に対し、再発防止研修命令を出しましたが、それに対して、どのような対応をしましたか。

近藤  私たちは、不起立をするような人間をつくらないために行う再発防止研修はおかしいと考え、その取消と執行停止の申立を行いました。

加藤  7月23日に裁判所の決定がでておりますが、どのような内容だったのですか。

近藤  執行停止の申立自体は却下されてしまいましたが、理由中の判断で、再発防止研修は、やり方如何によっては、教職員の内心の自由に踏み込み、違憲・違法の問題を生じるとの判断を示し、私たちが今後、闘いを進めることの力となりました。

加藤  都教委は、教育現場に対する「日の丸・君が代」強制に関し、新たな対応をしてきておりますか。

宮村  昨年9月7日の校長連絡会で、教職員への職務命令に「学習指導要領に基づいて生徒を指導する」との項目を加えるよう指示が出されました。これは、教職員の思想・良心の自由を侵害するにとどまらず、生徒の思想・良心の自由まで命令によって踏みにじろうとするもので極めて問題があると思われます。

加藤  ドゥイツさんは、ジャーナリスとして、今回の東京都の「日の丸・君が代」の強制問題を取材して、どのような印象を持ちましたか。また、オランダでは、学校現場で、国旗・国歌の強制はあるのでしょうか。

ドゥイツ  東京で行われていることは異常としか言いようがありません。私の国、オランダでは学校で国旗・国歌が強制されるということはありませんでした。私の知る限り、フランス、ドイツなどヨーロッバ諸国のなかで学校で国旗・国歌が強制されるという例を聞いたことがありません。

加藤  ドゥイツさんは、「日の丸・君が代」の強制はどのような問題があると思われますか。

ドゥイツ  全体を一つの考えにすることは民主主義を弱めることになります。これには、既に実証的研究もあります。例えば、スタンフォード大のミルグラム教授の書かれた「服従の心理―アイヒマンの実験」などです。

加藤  堀尾先生から、国際教育という観点をも踏まえ、国旗・国歌の問題について、どのように考えるべきか話していただけますか。

堀尾  現代を、21世紀の国際社会のあり方を考えるとき、それを私は地球時代というように考えようとしているのですが、それは、地球上に存在するすべての人間、すべての国家が一つの連帯感をもって共生しなければならない時代に入ってくると思われます。
 その際、それでは、ネーションというものはどうなるか。いきなり地球市民、地球時代における地球市民の教育というわけにはまいりません。国家の存在というものを認めるものであります。当然、国家を単位としてインターナショナルな関係というものが作り出されなければならない。その限りにおいて、その国を象徴する国旗・国歌は必要であろうと思っております。
 ただし、国際社会、地球時代にふさわしい国民意識をどのように育てるか、そういう観点からネーションの意味をとらえ直すということが必要なわけで、これからはできるだけ国境は低く、あまり日本、日本という必要のない、存在するものすべてのユニークな価値を認め合う、そういう社会と国際関係をつくるべきではないかと思います。

加藤  そのような観点、「日の丸・君が代」が歴史的に果たしてきた意味などからして、「日の丸・君が代」が「国旗・国歌」としてふさわしいかという問題がありますが、現実に「国旗・国歌」法ができ、教育現場で「日の丸・君が代」が強制されるということはどのような問題があるとお考えですか。

堀尾  「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」として、学校現場に押しつけることは、憲法の保障する、そしてまた、子どもの権利条約が保障している精神の自由、内面の自由の問題と深く関わる問題です。
 そもそも教育というものは、精神の自由、内面の自由を大切にしながら、感性を豊かにする、理性を育てるのが教育の目的であるわけですけれども、その仕事に教師は、どういう責任を持つかという問題がそこにかかわってくるわけです。

加藤  尾山先生から、東京都の「日の丸・君が代」強制に対する教職員の闘いの意味について話していただけますか。

尾山  学校における「日の丸・君が代」の強制は、わが国の民主主義が問われる問題であり、わが国に基本的自由と寛容の精神が存するか否かが試されている問題と言えます。
 都立学校の多くの教職員たちが、「日の丸・君が代」の強制に反対して立ち上がったことは、この国に民主主義とその諸原則を確立するための重要な契機を国民に提示するものとなると思われます。いっしょに頑張っていきましょう。