比較的近所に住んでいる長男夫婦の小学6年と1年の娘たちが、何かにつけて時々遊びにくる。我々夫婦にとって楽しみの1つである。
 先日たまたま遊びにきていた長女から、「学校に出す作文に今度『ビルマの竪琴』という題で作文を書くので、お父さん(わが家での私の通称)の戦争体験を聞かして」といきなり言われた。この質問にも多少とまどったが、「ビルマの竪琴」について書く動機についていたく歓心をもった。もう知らない人も多いが、「ビルマの竪琴」は、地味だった原作をある監督の手で安井昌二という男優を主役に映画化され、各地で上映したところ、敗戦の痛手に打ちひしがれていた多くの日本人の心をゆさぶり、あらためて戦争の悲惨さと、無意味さを実感させた作品であるからである。中味は、制空権を失い、武器・弾薬を持たないまま、ビルマ戦線に投入され戦病死した多くの戦友の菩提を、竪琴を持つビルマ僧として、一生弔うという悲しくも心うたれる内容の作品である。長女がそれを私の戦争体験と結びつけて私に質問してきた一事に心から感激し、学徒出陣から、敗戦前後の関東軍の残留日本人保護の放棄、私自身の、数十万の兵士の一員としてのシベリヤ抑留生活の実態を、くまなく長女に伝承した。
 それにつけても今の日本は、特に安倍内閣になってからの、集団的自衛権行使容認閣議決定等々、あまりに戦争の悲惨さ、無意味さを無視した政治遂行姿勢は、次世代のためにも許すべきではないとあらためて痛感した。