1978年夏、実務修習地の京都で、修習生歓迎の催しが開かれた。その席で、修習生の一人が「琵琶湖周航の歌」の6番を朗朗と歌い上げた。その最後の一節“語れ我が友 熱き心”が、修習生の思いに合致したこともあり、以後、この歌は京都修習同期の愛唱歌となった。その席で、後に検察官に任官することになった修習生の一人が「ぞうさん」の歌を歌い出した。当時、私はユニークな仲間がいると思うとともに、この歌が不思議なことに妙に印象に残った。この夏は、また、母校(盛岡一高)が久々に甲子園出場を果たしたため、修習をサボって、甲子園に行き、旧友と再会し、一緒に声を張り上げ校歌や応援歌を歌いながら、母校を応援したたのしい思い出がある。
 私は、京都で実務修習をするなかで、裁判官志望から、弁護士志望に変え、修習終了後東京で35年前から仕事をするようになった。音楽著作権に関わる事件を担当したり、趣味で能や狂言を鑑賞したりすることはあったが、「ぞうさん」の歌の深い意味が理解できるようになったのは、この10年来、学校の先生方の教育にかかわる問題に取り組むようになってからである。お互いの個性を尊重しながら、自己肯定感を育み、そして、一人で孤立しては生きていけない人間が、身近な人も含めて多くの人と協力して社会を創っていくことの大切さを、これほど分かりやすく歌い上げた歌を私は知らない。まさに、難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく、たのしくのすぐれた実践といえると思われる。作詞者のまどみちお氏には、晩年の作として、「トンチンカン夫婦」という詩があるが、そこには、年をとってからの生きがいと夫婦円満の秘訣がちりばめられている。
 この夏、法曹になってから35年めの同期の催しが横浜で開かれることになった。旧友と再会を果たし、語り明かしてきたいと思う。