少し前の「事務所だより」に、小学唱歌の「蛍の光」や文部省唱歌「浦島太郎」のことを採り上げて、それぞれの歌詞から、そこに投影された時代の影や作者の思いを推し測る拙文を綴らせてもらった。

 ところで、これらの唱歌が紹介された『日本唱歌集』(岩波文庫)には、「婦人従軍歌」(明治27年10月加藤義清作詞)なる作品が収められている。

 この軍歌は「火筒の響き遠ざかる跡には虫も声たてず 吹き立つ風は生臭くくれない染めし草の色」という広く知られた一番で始まり、次いで二番は「わきて凄きは敵味方 帽子飛び去り袖ちぎれ 斃れし人の顔色は野辺の草葉にさも似たり」である。この辺りまでは、私ども昭和ヒトケタ世代が多感な少年少女時代に、折にふれて耳にしており、いまでも空で口ずさむことがことができる。

 しかし、凄いのはこの唱歌の終節であって、その五番は、「味方の兵の上のみか言も通わぬ敵(あた)までもいと懇ろに看護する 心のいろは赤十字」、六番目は、「あな勇ましや文明の 母という名を負い持ちて いと懇ろに看護するこころの色は赤十字」という詩句で結ばれている。

 この軍歌は作成の時期からして、かの日清戦争(明治27年8月~)に関連して作詞されたものと思われるが、わが国が大陸進出を目ざして帝国主義戦争に乗り出した当初の時期に、傷ついた敵兵にも看護・救出の手を差し延べる国際赤十字の精神が失われずにいたことを窺わせ、今更ながらホッとして、ひととき誇らしい気持ちにひたることができるのは、嬉しいことである。