[特集 私の夏休み]

 
 永年人生を経験すると、だんだん子ども時代が懐かしくなる。福島の山の中の小学校時代の夏休みは開放感が抜群であった。しかし高学年になると農家にとっては重要な労働力で、真夏は田畑の作業は多くないかわり、養蚕農家であったから、専ら桑摘みや蚕に桑をやる作業が待っていたし、時には昼ご飯のお手伝いで煮焼きなどの仕事も入った。そして旧暦のお盆の頃には、蚕もほぼ一段落するのが常で、やっと家族ともども休めるのであるが、東北の夏休みは短く(その代わり冬休みが長い)、もう夏休みもあと僅かになっているのである。この頃になると、夕方には赤とんぼが空が暗くなる位に一杯に飛んだり、夜には涼風が吹きお盆の月が一段と大きく輝いて、時は夏の終わりを告げ始めるのである。学校の宿題も、工作も、絵も本気で取り組まないと間に合わない心忙しい時期となる。もう次の休みを期待することとなる。

 時は過ぎて弁護士になってから20数年間、毎年夏休み期間中に刑事事件や大きな事件の合宿による弁護団会議が必ず数回あり、夏の年中行事と化していた。会議の場所は、余裕があると温泉地を選んで行なわれることが多く、終わったあと休暇を楽しみ、登山なども行なった。私の岩手山登山もこれで登った。また大学時代の友人達との気の置けない旅行も必ずあって楽しみの一つであった。休みは瞬く間に終わるのである。

 毎年8月の月遅れのお盆には帰省し父母の墓参りをしてきたが、あの原発事故もあり今年は出来るのか否か未だ決まっていない。