1年の始まりは古きをたずねて新しきを知る、正にその時である。

 ところで、昨年は日本の大震災は別としても、世界的な事象・嵐が人間世界に吹き荒れた。かつてメソポタミアやエジプト文明中心地のアラブ等における独裁的国家が人民の蜂起で崩れ去った。そして祝う(?)べきか世界人口が10月末には70億人になったこと等である。

 これに反して日本は成熟社会に入り、人口は減少に転じ経済的にも高度経済発展の終焉を迎えている。成熟社会では経済的にもサービス部門(金融・商業・観光・医療・法務・知的財産等)が全体の7割方を占め、もの作り等は減少するのが世界的傾向であるという。日本でも次第にサービス部門中心に移行することになるであろう。

 成熟社会は活気が無くなべて衰退するかというとそうあってはならないと思うし、決してそうではない。サービス部門の拡充を「知」の拡充された世界に向け、文化の世界を創造し、そして力に頼らない平和の世界実現が可能だからである。

 先日新聞である大学教授がのべている。人間の歴史をみると、人類学上精神的・文化面で大きな変革の時代、即ち「文化のビックバン」と呼ばれている時代があった。紀元前5世紀前後の時代であり、この時代地球上の各地で「普遍的原理」が同時多発的に成長したという。インドの仏教、ギリシャ哲学、中国の儒教・老荘思想、中東での旧約思想で特定の地域を越えた、人間の内部をみつめ欲望の内的規制を説いたものであった。

 この「文化のビックバン」は、当時も物質的生産の量的拡大から内的・文化的発展へ移行した時であったという、即ち経済的には当初の拡大・成長の時代から成熟・定常の時代の構造変化の中で必然的に起こったものではなかったか、と述べておられる。

 思いは同じである。定常期に於いては地域の風土的多様性や固有の価値が再発見される時代となる。いま日本は新しい日本版文化のビックバンをおこし、創造的文化的社会の創設に向けて進む、平和な幸福度の高い、展望ある時代に入ったのではないかと思う。